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俺は用心棒(6)
出演:栗塚旭
おすすめ度
「めでたしめでたし」で終わる勧善懲悪劇ではない。観終わっても何かしらの気掛かりが残る。
何故そうなってしまうのか、というもどかしさにかられることもある。
やるせないような、哀しいような、また腹立たしいような何かに胸がつまることも多い。
しかしあらすじを思い返してみると、そうならざるを得ないことに気付く。彼らには気の毒だが、やはり逃れられないのだ。それが封建制度というもの、それが人の世の辛さ悲しさというものなのだ。彼らがそれほど責任を強く感じなかったり、人の不幸を看過することにそれほど良心の呵責を感じないのなら、彼らが犠牲を強いられることはなかったかも知れない。だが彼らが善人だったばかりに・・・
『俺は用心棒』の状況設定はため息が出るほど巧みである。封建制度そのもの、あるいはそのほころびから生まれる社会矛盾が、人々の足をすくい、人々の命を絡め取っていく。1話1話の主人公である名も無い庶民たちは、ふとしたことから争いや悲劇に巻き込まれる。そこから逃げられそうもない。結束脚本の妙である。観る者は、絡んだ糸のように複雑な話の展開に息を詰める。最後の最後まで話の先を読むことができない。緊張感が続く。目が離せないのだ。見逃すまい、聞き逃すまいと台詞一つ、仕草一つにも神経を払い、画面を見詰める。スリリングである。そして心に突き刺さるような結末を迎える。
「人生」「人間」「命」「幸福」といった永遠の哲学的命題をこの作品は、時代劇の面白さを織り込みながら、気掛かりあるいは余韻といった形で観る者に突きつける。それらがやがて層を成して、心に残っていくのだ。『俺は用心棒』の感動の多くは、観る者が、この作品を自分の人生観に照らして何かしらの意味付けを行うところにある。名作といわれる文学作品がそうであるように、『俺は用心棒』も観る者と作品との対話から、その世界が始まるのである。
「第11話 襲撃前夜」 余韻と気掛かりの『俺は用心棒』面目躍如たる作品。伏見奉行所同心土屋五郎太の哀切極まる人生に深い共感を覚え、熱いものがこみあげる。原田甲子郎の見事な演技。
「第12話 木屋町非情」 歴史上の人物である高杉晋作と新選組を巧みにからませ、ドラマチックで臨場感溢れる名作回。高杉晋作と彼に対峙する用心棒の描き方に、結束の思想が読み取れる。京の庶民の生活ぶりが生き生きと描かれ興味深い。